日曜日のおはなし  2月15日

年間第6主日(マルコ1・40-45)

 口止め

     「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司
     に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明
     しなさい。」
            
「掟のもとに生きる奴隷のようではなく、恵みのもとに生きる自由な者として」。これ
は聖アウグスチヌスの言葉です。

これはたぶん、無数の律法という掟にからめ取られて身動きできなくなっていた
「旧約時代」と、イエス・キリストの到来により始まった「新約時代」の違いを表した
言葉でもありましょう。

外から人間を規制しようとすれば、次第に不信と猜疑を生み出し、これを押さえ込む
ために規制に規制を重ね、ついには身動き取れなくなることは、歴史が証明していると
ころです。

イエス・キリストの到来の意味は、外からの規制による秩序回復ではなく、内からの
解放にあります。私たちの内部構造は、それこそDNA(遺伝子の本体を成す核酸の一
種)のかなたから根本的に変えられ、その地殻変動ともいうべき変化に気づいたならば、
もはや外からの規制など何ら必要としないほどの自由の身へと解放されていくのです。

聖者はそのことに気づき、自らその解放を体験し、救いとは抽象的な概念ではなく、
まして大過なく過ごしていくための規則などではなく、一種の内的爆発であることを説
いたのです。

きょうの福音にも、一人の人間の内的爆発が記されています。重い皮膚病がいやされ
た後、彼は奇妙な口止めをされてしまいます。「これはあなただけにあげる恵みだよ。
だれにも言ってはいけないよ。私とあなたのヒミツ!」というわけでしょう。

「これは秘密だよ。絶対にほかの人に言ってはだめだよ」。人はよくこういう言い方を
して、逆に言いたくなる心理効果を狙う場合があります。イエスさまにも、そんな狙い
が多少あったのかもしれません。

しかしそれ以上に、このいやしはこの人のみの恵みだったのです。イエスさまは、お
そらく全宇宙を総動員してこの方に迫っていかれたのでしょう。そして全宇宙を超える
愛をもって、この方を抱擁されたのです。「この宇宙に、あなたという人間はたった一
人しかいない」とでも言うように。

このいやしの味が味わわれるためには、少々の時を要します。三日目によみがえると
言われたように、復活のためには、死と沈黙の期間がいります。この人の中の神さまの
いのちの復活のためにも、熟成の時が必要だったのです。これが奇妙な口止めの狙いだった
のではないでしょうか。

事実、彼はすべてを解き放たれ、止めどもなくほとばしる自由の言葉を自分のものに
したのです。そしてそれは、彼が「旧約」を抜け出し、「新約」に突入した瞬間でもあ
ったのでしょう。「掟のもとに生きる奴隷」からの解放、恵みの中の自由、これは多くの規制の折の中に閉じ込められているように見える現代人の重要なテーマでもあります。

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