日曜日のおはなし  3月8日

四旬節第3主日(ヨハネ2・13-25)
復活訓練
     イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の
     金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「この
     ような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはな
     らない。」
        

四旬節も深まってまいりました。四週間後には復活祭を迎えることになりますが、
〝復活訓練〟は進んでおられるでしょうか。

きょうの聖書には、いつになく激しいイエスさまの姿が描かれています。神殿の境内
に乗り込んで、縄でむちを作り、供え物用の牛や羊を追い出し、両替人の机をひっくり
返すなど、大暴れをしたというのですから、ただごとではありません。

そうして、なぜそんなことを、と問われると「この神殿を壊してみよ。三日で建て直
しみせる」と言われたというのですから、これまたただごとではありません。

しかし弟子たちには分かったのです。このただならぬ行動の背景には、深い意味が隠
されていたことが。「イエスの言われる神殿とは、ご自身の体のことだったのである」
と。つまり復活の前ぶれ、その〝予行演習〟であり、「現実の場に復活を置き換えると、
例えばこのようなことになるよ」ということを身をもって解説しておられたのです。

どうりで激しいはずです。何しろ死から命へのよみがえりですから、上品におとなし
くというわけにはいかないでしょう。

あの復活の墓の大きな石と同系列の岩が、この神殿にもあったのです。それはイスラ
エル社会の〝本丸〟である神殿の、幾重にも構築された隔ての壁のことです。

この〝大暴れ事件〟は異邦人の広場で起こったものです。そこでは供え物用の動物の
売買や献金、その他の用に備えて両替の必要もあるので、そのための店が並んでいまし
た。だから当時の習慣上、必要なことでもあったのです。そんなことはおかまいなく暴
れまくったというのは、そんな社会習慣の裏に潜む、人間のいのちをむしばむ、一部の
人々の利権や差別が極みにまで達していたということでしょう。

ほかに、女性を隔てる壁があり、さらにイスラエル人の男性のみ入ることの出来る広
場があり、さらに特権階級の人々と祭司のみしか立ち入ることのできない場所があり、
それぞれ分厚い壁で隔てられていたのです。とすると、この大暴れはあの復活の墓の中
のイエスさまの姿でもあったということになります。イスラエル社会という墓の中のい
のちへの激しい胎動であったからです。

あの墓の大きな石と同様、今、隔ての壁は取り除けられているのでしょうか。連日報
道されるところによれば、特に中東方面は人間の憎しみのるつぼのようです。

人々の間の隔ての壁は、今も厳然としてそびえています。きょうの事件は、私たちの
身の回りを含めた、生々しい現実の中でこそ復活は成し遂げられなければならないこと
を示しています。

This entry was posted in 未分類. Bookmark the permalink.

Comments are closed.