日曜日のおはなし  3月15日

 

 

四旬節第4主日(ヨハネ3・14-21)
 自動制御装置
     神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を
     信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
        

人生は、重き荷を負って坂道を上るがごときであり、荒海を渡るがごときです。あら
ゆる難関をくぐらねばなりません。徳川家康さんに言われなくともそのとおりです。

それだけに、あまりがんばり過ぎると優秀な頭脳も
心もポンコツになりかねません。ところがそこはよく出来たもので、人間には本来〝自
動制御装置〟が付いていて、そのような行き過ぎを自然に抑えるようになっているらし
いのです。

あまりにも大きな恐怖に襲われると、そのことをきれいに忘れさせてくれる装置、す
なわち記憶喪失になってしまいます。恵まれた才能に駆り立てられて、突っ走っている
と、突然、無気力の世界に引きずり込まれることがあります。いずれもその人を守るた
めに、神さまが取り付けてくださった〝自動制御装置〟が働いたのです。もしこれが作
動しなかったら、身が持たず、永遠の休憩を取るしかなくなってしまいます。

〝自動制御装置〟は人間を崩壊から守ってくれるものですが、必ずしも悪いことから
守るだけではありません。あまりにも良すぎることからも守ってくれるのです。例えば
人間が神さまと協力して、この世に命を産み出すということは、ちょっと考えても考え
なくても、とてつもなくすばらしいことです。おそらくこのことの本当の意味を知った
ら、人間は到底もちこたえられず、失神してしまうでしょう。

だから人間は、命に対してずいぶんと鈍くつくられています。そのために、「自分の
体でしょ。何が悪い」などと言って、いわゆる「援助交際」に走ったりします。生まれ
出たわが子を自分の腕に抱いてみて、ようやく少しだけ、命の〝けた外れた〟価値に気
づく程度です。おそらく初めからわかっていたら身が持たないことでしょう。何十年か
かけて、少しずつ分かる程度が一番良いという神さまの計らいなのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一
人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」。これはきょうの聖書のことばですが、
聖書のほかのことばが全てなくなっても、このことばが残っていれば、問題ないと言わ
れるほどの、究極のことばです。ですからこれは全聖書を要約することばでもあります。

しかし私たちは、これを聞いてもそんなに驚くことはないし、ましてや失神すること
はありません。〝自動制御装置〟が働いて、かろうじて助かったのです。

しかし今は四旬節で〝復活訓練〟の時期でもありますし、自動制御を少しだけ突き破
って、まともにこのことばと向かい合ってみてはいかがでしょうか。そして静かに数回、自分の心の中でつぶやいてみるのです。

ただし失神にはご注意を。

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