神は人を偉大なものとし、万物をつかどらせる

カトリック上神崎教会

地上の星であるみなさんへ

長崎県北の小さな教会から、心を込めて挨拶のことばを差し上げます。
「皆さん!こんにちは!」

あいさつは世界を結ぶことばです。「今日一日良い日でありますように」「グッドモーニング」
「グッド」とは「Goodlと綴ります。これは『God』っまり「神」が共にいてくださいますようにという意味だそうです。
みなさんは夜空の星を見上げることが、もちろんあると思います。わたくしもよく見上げます。ただ、わたくしは昼空もよく見上げます。そして星を探します。ここがみなさんと少しちがうところかも。


何を愚かなことをと思われるでしょうか。確かに昼空を見上げても星は見えません。見えません_MG_0173.JPGが確かにあるのです。確実に存在するのです。
だからわたくしは昼間も時々空を見上げることにしています。そうするとふと気付くことがあります。星を見るためには夜の闇が必要なのだと。
暗闇、暗黒、いずれも気味の悪いことばです。できれば聞きたくないことばでもあります。でも満天の星はその暗黒のただ中に輝き出るのです。

この世界は暗闇の系列に属する事柄には事欠きません。先の見えない青春の戸惑い、倒産、失恋、自然災害、突然の重篤な病の宣告、そして治癒の見通しも見えない延々たるリハビリなど。
それらの暗黒を前にわたしたちは戸惑い、苦悩し、問い掛けます。この漆黒の闇も希望の星を浮かび上がらせてくれるのかと。
わたくしはその答えを求めて時々空を見上げます。未だに答えは見つかりま
せん。しかし時々、手応えを感じることがあります。手応えを感じて思わず教会の中に入ることがあります。そこには素っ裸で十字架に掛った方がおられます。もしかしたらこの方はその答えを持っておられ
るのではないかと思ってしまいます。

なぜなら、このお方ほど闇を体験された方はいないからです。その闇を体験された方が「わたしは世の光である」(ヨハネ伝8・12)と言われ、さらに、わたしたちのことを「あなた方は世の光である」(マタイ伝5・14)と宣言されているからです。
このお方のことばによれば、星は地上にも散りばめられているのです。わたしたち自身が星なのです。突然そんなことを言われてもにわかには信じがたいことかもしれません。

しかし、昼間にも星はあるのに見えないように、わたしたちはすでに地上の星であるのに、それが見えていないだけかもしれないのです。見えるようになるために人間のさまざまな闇たちが用意されているのかもしれないのです。
その、わたしたち自身の中で輝き、わたしたちを地上の星としてときめかせてくださる方のことを、わたしたちは「キリスト」と呼んでいます。

この小さな教会に、ともに集いながら、わたしたちは地上の星を追い求めつづけております。
ぜひ一度お出かけください。

カトリック上神崎教会
主任司祭 橋本 勲

プロフィール

◆神父 (使徒ヨハネ長崎教区司祭)

◆著書紹介 「どこに過ぎ越しの用意を」 「前へ あるキリスト道巡礼記」 (以上サンパウロ) 「こんな小径も」(聖母の騎士)
◆略歴
 1942年平戸市紐差(ひもさし)に生まれる
 1961年4月福岡サン・スピルス大神学院入学
 1969年3月司祭叙階
 1969年4月出津教会助任
 1971年4月飽ノ浦教会助任
 1971年5月青年連絡協議会指導司祭
 1975年2月紐差教会助任
 1985年3月木鉢教会主任
 1988年2月連合婦人会長崎地区指導司祭
 1989年4月要理教育研究所所長
 1997年3月司牧企画室室長
 2001年4月教区本部事務局長
 2003年12月司教総代理